大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和36年(ネ)592号 判決

控訴人 森下瑩子

被控訴人 松本ミヨシ

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対し原判決別紙目録記載の建物(但し、(イ)の建物中、階下東南部一〇畳一室を除く)を明渡せ。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述及び証拠関係は控訴代理人において「亡森下光繁と被控訴人との内縁関係は結婚式を挙げた事実もなく、被控訴人としては単に生計維持のための経済的理由により、また光繁としては先妻と死別直後の淋しさから慇懃を通ずるに至つたに過ぎず、双方の家庭的経済的事情から考えて正式婚姻の意思は全く認められない純然たる内縁関係であつて、単なる私通関係と何等撰ぶところはないので、「準婚」として法律的に保護の対象となすべきものではない。仮りに両名間に準婚的生活共同体なるものが形成されていたとしても、それは光繁の死亡により解消したものであつて、被控訴人に居住権なる権利が残存すべきものではない。若し内縁配偶者の死後にも生活共同体が残存するとすれば、戦死した被控訴人の先夫との間にこそ残存しているものと云わねばならない。また仮りに被控訴人に居住権があるとしても被控訴人は他に使用し得る家屋を所有し、該家屋にはその営む養鶏業を継続するに十分な敷地も附属しているのに、本件家屋内に存する有体動産を搬出横領する目的で自己のみならず、その連れ子である四人の子女と共に本件家屋の大部分を占拠し、既に光繁の遺産である世帯道具、農機具等目星しい物件を売却しているものであるから、被控訴人が正当相続人である控訴人の本訴明渡請求を拒むのは居住権の濫用であるから本訴請求は認容さるべきである。」と述べ、〈証拠省略〉被控訴代理人において「控訴人の養母ハツヨが昭和三〇年九月二二日、養父光繁が昭和三三年一一月一八日各死亡したこと及び控訴人が光繁の遺産相続をなしたことはこれを認める。」と述べ、〈証拠省略〉た外、原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

理由

控訴人が昭和一五年一月三日父松田数雄母同シゲコ間の二女として出生し、昭和二一年三月五日養父亡森下光繁養母亡同ハツヨと養子縁組をなしたこと、昭和三〇年九月二二日養母ハツヨが死亡、次で昭和三三年一一月一八日養父光繁も死亡し、控訴人が光繁の遺産相続をなしたこと、被控訴人が養母ハツヨの妹であつて、その夫亡松本正が昭和一九年一〇月一〇日戦死して寡婦となつたこと、被控訴人とその亡夫との間には二男二女があること、原判決別紙目録記載の建物が光繁の所有であつたこと及び該家屋(但し、(イ)の建物の内階下東南部一〇畳一室を除く)を現在被控訴人が占有していることは当事者間に争がない。

ところで被控訴人は亡光繁から同人の死亡前日頃本件建物の贈与を受けた旨抗争するが、原審証人上田出喜、吉永重義、北浦定男の各証言及び当審における被控訴本人尋問の結果中右主張に副う供述は容易に措信し難く他にこれを認むべき何等の証拠も存しないので該抗弁は採用できない。

然りとすれば右建物は前記相続により控訴人が承継取得したものと云わねばならない。

次に被控訴人は光繁と事実上婚姻し、内縁の妻として本件建物に居住して来たものであつて居住権があるから本訴明渡の請求を拒む旨抗弁するので以下この点につき検討する。

成立に争のない甲第一、二号証の各一、原審証人上田出喜、上田ミツヱ、酒井増一、北浦定男、吉永重義、前田仙治の各証言、原審及び当審における被控訴人本人尋問並びに原審における検証の各結果を綜合すれば、被控訴人はハツヨ生前から本件建物の敷地の西隣に在る光繁所有地内に木造瓦葺平家建居宅一棟建坪一一坪八合八勺及び鶏舎一棟を所有し、その子女四名と共に居住していたので、時折光繁方に出入して同家の家事手伝をしていたが、殊にハツヨの病臥以来頻繁に加勢に来ていたところ、ハツヨ死亡後は右子女と共に光繁方に移り住み、昭和三〇年一一月中本件家屋において近親者数名列席の上簡略な結婚の式を挙げ、爾来該家屋において光繁と同棲し、相協力して家業たる養鶏、養蜂業等に励んだ結果、右家業も急速に隆盛に趨いたが、光繁は一両日病臥したのみで急逝し、遂に正式婚姻届出はなされない侭に終つたことが認められ、原審における証人松田シゲコの証言及び控訴人本人尋問の結果中右認定に反する部分は前顕各証拠と対照して措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠は存しない。

そうだとすれば被控訴人と光繁との間には昭和三〇年一一月以来光繁死亡に至るまでいわゆる内縁の夫婦関係即ち事実上の婚姻関係が成立し、被控訴人は光繁死亡後はいわゆる内縁の寡婦として本件建物に居住しているものと云うべきであつて、単なる一時的私通関係とは認められないところである。

そこで進んで被控訴人が控訴人に対して内縁の寡婦として有する本件建物居住権を援用して相続人たる控訴人の明渡請求を拒み得るか否かにつき考察するに、いわゆる内縁の夫婦関係は男女が事実上の夫婦として生活を営む結合体であつて、社会的に承認された夫婦共同生活体である点においては法律婚と異るところはなく、これを準婚的身分関係として理解すべきであるから、単に婚姻届をなさなかつたと云う一事だけで内縁当事者の積極的な内縁解消なくして死亡と云う自然的偶発的な事実の発生によりそれまでに夫婦協力して形成された準婚的共同生活関係が一挙に崩壊したものとなし、右共同生活関係に包摂されていた死亡配偶者の相続人たる同居家族が内縁の生存配偶者に対し相続による所有権取得を理由としてその生活の本拠たる居住家屋の明渡を求め得るものとすれば、法律婚における生存配偶者が共同相続人として法の保護を十分に享受し得るのに比し、内縁の生存配偶者は極めて不利な立場に置かれることとなり、酷に失するので、内縁関係から生ずる準親族間の共助の精神を尊重して、これに対し何等かの法的規制ないし保護を加える必要のあることは異論の余地はないものと考えられるところである。然しながら内縁関係が配偶者の一方の死亡により終了した以上、相続人に帰属した家屋所有権の一支分権たる用益権に該当すべき居住権のみを分離して相続権のない内縁の生存配偶者にこれを認めることは我国の現行私法体系の下においては到底不可能であると解されるので、被控訴人が居住権なる権利を有するとの主張は採用し難い。

さりながら被控訴人が云わんとするところは右の如き準親族関係に在る内縁の寡婦である被控訴人の地位が保護さるべきであることを強調し、控訴人の所有権に基く本訴明渡の請求が許さるべきではないと云うに在り、畢竟本訴請求が権利の濫用であるとの主張を包含しているものと解されるので、更にこの点につき考究することとする。

前顕甲第一号証の一、成立に争のない同号証の三、乙第一号証の一、二、原審における証人上田出喜、上田ミツヱ、酒井増一、北浦定男、前田仙治の各証言、被控訴人本人尋問の結果、原審証人松田シゲコの証言(後記措信しない部分を除く)及び原審における控訴人本人尋問の結果(同上)を綜合すれば控訴人は養父光繁の姪(控訴人の実母松田シゲコは光繁の実妹)であつて、前記養子縁組前既に生後満一年余の頃から事実上の養子として光繁、ハツヨ夫婦の手によつて養育せられて成長し、農業高校を卒業したものであるが、前記の如く被控訴人が光繁の内縁の妻としてその子女と共に同居するや、間もなく被控訴人との間に感情の疎隔を来たし、兎角家庭内が円満を欠くに至り、その間光繁は控訴人、被控訴人間の軋轢の板狭みとなり、懊悩の末自殺さえ企てるに至つたこと、昭和三三年八月頃控訴人は遂に実母であるシゲコ方に移り、光繁の再三に亘る復帰要求にも応じなかつたので、同年九月頃控訴人及びシゲコを除き光繁及びその他親族数名が集り協議の結果、控訴人を離籍することとなり、親族である訴外酒井増一、上田ミツヱを介してその旨をシゲコに伝えると共に箪笥一棹、衣類、現金一〇、〇〇〇円等金品を贈与したが、光繁は幼少の頃から実子同様に養育して来た控訴人に対する愛情の絆を容易に断ち難く、未だ離籍の手続をなすに至らずして死亡したこと、光繁は右の如くその死亡に至るまで控訴人に対し断ち難い愛情を有する一方において被控訴人との内縁関係を断念する意思もなかつたこと、控訴人は現在未婚であつて独立して家業を継ぎ生計を営むことは困難な状態に在り、目下使用している原判決別紙目録記載(イ)の建物の内階下東南部一〇畳一室の使用をもつて左程不自由がなく、本件建物全部を使用しなければならない差迫つた必要はないこと、被控訴人は前記の如く隣地に家屋(現在物置として使用中)を所有し、戦死した亡夫の遺族扶助料を受けてはいるものの、その子女は殆んど全部が未だ独立して生活するには至らず、今被控訴人が本件建物を明渡さなければならないとすれば、現在営んでいる養鶏業その他の家業に相当な支障を来たし、家計上相当重大な打撃を蒙る虞れの存することが認められ、右認定に反する原審証人松田シゲコの証言部分及び原審における控訴人本人の供述部分は措信し難く、他に右認定を左右すべき証拠はない。控訴人は被控訴人が本件建物に居住する目的は本件建物内に存する光繁の遺産である動産類を横領せんがためであると主張するが、これを認むるに足る証拠はない。尤も成立に争のない甲第四号証並びに原審証人大町博邦、酒井金年、小鉢友一郎、酒井国男、松田シゲコ、松田数晴の各証言によれば被控訴人が光繁死亡後相続人たる控訴人の諒解を得ずして農機具類及び鶏の一部等を売却処分し光繁名義の預金通帳より金一〇〇、〇〇〇円を引出し費消した事実が認められ、前記認定の光繁との共同生活に徴し、光繁の遺産の蓄積については被控訴人の協力が或程度貢献していることは察知するに難くないところであるが、双方の協議を経ることなくして採つた右措置には隠当を欠くものがあるけれどもこれをもつて直ちに被控訴人の本件建物に対する占有が控訴人主張の如き意図に基くものであると断定することはできない。

そこで前記説示の如き内縁の寡婦の利益保護の必要性を考慮に入れ以上認定の諸事実と右認定の事実から窺われる亡光繁がその死に至るまで控訴人と被控訴人とが本件家屋において同居し、円満な準親族関係を維持することを希求していた意思とを彼此参酌して判断すれば、将来事情の変化により控訴人が本件建物を独占して使用することが相当と認められるまで双方共に本件建物に同居すべきであり今ここに控訴人がこれを拒み、被控訴人に対し全面的に右建物を明渡すべきことを訴求するのは権利の濫用であつて許されないものと断ぜざるを得ない。

よつて控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべく、右と結論を同じうする原判決は結局相当であつて本件控訴は理由がないからこれを棄却し、控訴費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 相島一之 池畑祐治 藤野英一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例